松崎刃物製作所

創業150年余、鰐塚山地を背景とした薩摩地方の薪文化から派生した生活に密着した鍛冶屋です。昔から変わらぬ伝統的な技法「火造り」。木炭を焚いてその中で熱した鋼及びステンレスを、一つ一つご使用いただいたお客様の笑顔を思い浮かべながら思いを込めて手打ちで叩いて製作(鍛造)しています。

宮崎県伝統工芸士である松崎師匠は、16歳からこの世界に入り、60年以上造り続けています。師匠の下にはお弟子さんも二人おり、後世へと繋いでいく道も続いています。

(株)山謙木工所

福井県越前市にて1912年創業。100年続いている老舗の和包丁の柄の専業メーカー。

包丁は家族=包丁は家族の象徴であること。

「各家庭に必ず一本は存在し、命の営みをつなぐ役割を担うのが包丁です。人々の生活や歴史を支えるのが私達の仕事だと考えています。」この想いを軸に製作に取り組んでいます。

柄の制作に関して独自の特許技術による開発も行っています。また越前打刃物と越前漆器の蒔絵師による作品を合わせ「柄と繪」のオリジナルブランドもあります。二つの伝統に出会える場所です。

いしはら陶工舎

いしはら陶工舎は、佐賀県有田町黒牟田地区に工房を構えています。黒牟田地区は江戸時代からの窯場で今でも有田焼窯元が軒を連ねています。

伝統工芸士である石原さんは嬉野市にて14年ほど焼き物の制作に携わった後、波佐見焼を学び、その後16年ほど有田町にて絵師として務め、上絵付け・下絵付けの伝統工芸士、一級技能士になりました。2019年に【いしはら陶工舎】として独立。絵師の技術とアイデア、金継手として様々な作品に挑戦しています。

 「金継手」とは、発想の原点は金継ぎと様々な産地を見て来た街中に、無数の転がる陶片を見ての名も知らぬ先人陶工へのオマージュです。金継ぎを模した独自のデザイン技法で作られた器を「金継手」として名付けました。

いしはら陶工3
いしはら陶工6
いしはら陶工2
いしはら陶工1

深川木工芸

鹿児島県曽於市に工房を構えています。深川木工芸では国産の原木丸太から製材し、目利きにより厳選して板取を行っています。職人のこだわりと技術によってより木の魅力を引き出した作品を製作しています。樹齢数百年の原木丸太を年月をかけて自然乾燥させて、木の特性や魅力を生かすために一つ一つの工程を丹念に手作りで仕上げています。

職人が想いを込めて丁寧に製作した天然木の木工品は、自然に対するリスペクトを大切にしながら、木の魅力を最大限に引き出した木の息吹が感じられる作品へと仕上がっています。

世代を超えて繋いで行きたい、残していきたい作品です。

宮崎上水園

宮崎県都城盆地の中にある町、三股町にて、自然を後世に残したい想いから土作りからこだわり、無農薬にて自然のバイオリズムに則ってお茶を栽培しています。創業は明治35年になります。日本で最初の水出し茶を作りました。

取り組みが評価され、2019年のアメリカ、ハリウッドで開催されたアカデミー賞の祝賀会にて多くのハリウッドスターにお茶が提供されました。

また日本でも珍しいスポーツ用のお茶(Spots Bio Tea)もあり、多くのオリンピック選手にも愛飲されています。このお茶は宮崎県陸上協会に認定されています。

煎茶を粉末にした颯々という商品もあり、これは飲むだけではなく、お料理やお菓子作りにも愛用されています。完全無農薬なので、小さなお子様にも安心安全にご利用いただけます。

美木工房

現在は県伝統工芸士黒木俊美氏の愛弟子、上牧正輝氏が南九州(宮崎・鹿児島)に伝わる弦楽器「ゴッタン」を宮崎県三股町に美木工房を構えて製作しています。ゴッタンは別名 箱三味線、板三味線とも言われています。材料は古民家のスギの柱や梁等を使用しています。現在手に入りずらく、貴重な材料となっています。

ゴッタンが発見されたのは、薩摩が中国と貿易していた時の沈没船から見付かったという説があります。もとは貴州省ミャオ族に伝わる三弦琵琶の楽器でその名を『古弾グータン』といわれています。ゴッタンが文化として根付いた歴史としては、宮崎県南部地方を含む旧薩摩藩では江戸時代から明治初年までの約300年間に及ぶ一向宗(浄土真宗)の信仰を禁制としました。弾圧が続く中で民衆の知恵によって念仏を唱える唄の伴奏楽器としての「ゴッタン」が誕生しました。都城地方で広まり、明るい場所で念仏を唱えるようになりました。
釘を使わず、生き物を殺生せずに板張りで製作するゴッタンは、人々の信仰を手助けするための念仏唄の伴奏楽器として使われていますした。その時代の流れの中で、日々の生活を楽しく過ごすための生活道具として「なにはなくともゴッタン」と言われるほど日常生活には欠かせないモノでした。農作業の休憩の時や作業を終えた後の楽しみとしてゴッタン演奏を楽しんだり、お酒の席で皆で楽しんだりしていました。人々に笑顔をもたらす楽器としてのゴッタンでした。また家を建てた人に、大工がその資材で作ってその家の音の楽器として贈る、大工の楽器としてのゴッタンもありました。その後戦争が始まる頃から徐々にゴッタン文化が下火になり、現代では旧薩摩地方でも知る人が少なくなってしましました。

この文化を絶やすことなく、次世代へと繋いで行きたいと思います。活動を繋ぐために別で「みまたんゴッタンプロジェクト」を立ち上げました。作り手、演奏家とともに教室も始めて繋ぐプロジェクトも開始しました。もしよろしければこちらも合わせてご覧ください。

HP:https://mimatangottan.wixsite.com/my-site

Instagram:@mimatan_gottan_project

ごったん5